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大磯宿には相模国の国府が置かれ、中世からの宿駅だった。本陣、旅籠合わせて676件もあったそうだ。 |
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北組・南組問屋場は書状や荷物を継立てて行う場所で、人手、馬などを準備していた。 |
大磯は解説も多い。 |
北組問屋場跡 |
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大磯宿小島本陣跡 |
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地福寺(島崎藤村墓) |
高札場跡 |
湘南発祥の地(中国湘南に由来) |
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鴫立庵は日本三大俳諧道場の一つ。小田原外郎の子孫、崇雪が草庵を開いた。 |
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街道から少し下がったところに建つ茅葺の庵に入ると、庭からは朗々と唄う大勢の声が聞こえてきた。唄いの会なのかもしれない。 |
鴫立庵(しぎたつあん) |
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上方見附跡 |
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滄浪閣は、伊藤博文邸はじめ、旧山県有朋・大隈重信・西園寺公望・原崇などの広大な別荘地で、庭園の松林の向こうはこゆるぎ浜が広がる。 |
東海道松並木 |
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庭園を散歩し、東屋で海を見ながら休憩した。残念ながら、現在ほとんどの建物が改修工事中だった。 |
大磯中学から滄浪閣(そうろうかく)の先まで残る旧東海道の松並木、高さ20~30mの松が並ぶ |
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明治記念大磯庭園 |
邸宅改修工事 |
旧大隈重信別邸 |
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血洗川(決戦を偲ばせる名前) |
国府本郷の一里塚 |
六所神社 |
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六所神社は、相模の國総社。府内六社を一ヶ所に合祀したもの。 |
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二宮は海水からの製塩が盛んで、塩海の名残の碑が建つ。 |
二宮でのランチを楽しみに歩いた。名残松の前の「えびや」も評判がいい。 店の前は賑わっていた。 |
名残松 |
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塩海の名残り |
調べてきた「山小屋」に直行すると、何故か閉まっていた。定休日ではないのに。がっかり(-_-) |
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しかたなく、近くにあったイタリアン(HAL BAL)に入った。 |
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HAL BAL |
二宮町のマンホール |
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梅澤橋は川の流れが変わったようで、橋の石柱だけ残っていた。 |
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旧道に入り道間違い。真っすぐ行ってしまい、すぐに気付いたので、少しのロスで済んだ。 |
旧街道が残っているところは、なるべく歩くようにしている。 |
梅澤橋跡 |
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石仏石塔群 |
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押切坂の一里塚(江戸より十八里) |
道祖神 |
中村川(中郡と小田原市の境) |
押切坂の一里塚より再び旧道。 |
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中村川にかかる押切橋からは、相模灘が広がる。やっと小田原市に入った。 |
浅間神社は富士山大噴火(1707)による火山岩が奉納されている。 |
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浅間神社 |
車坂(景勝地だった) |
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やはり大山参りは盛んだったようで、ここ羽根尾通り入口にも大山道道標があった。 |
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最初の予定だった小田原まではちょっと無理そうだ。二人共もうだいぶ疲れてきた。歳のことも考え、無理は禁物。国府津までにしよう。 |
大山道道標 |
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男女双体道祖神 |
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国府津駅に向かっていたら、左側でみかんを売っている。疲れていてもこれは見逃せない。戻って歩道を渡った。みかん、キンカン、ネーブルなど買った。八朔とキンカンのおまけまでつけてくれた。うれしい。 |
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電車を待つ間、みかんを食べたらジューシーでとても美味しかった。 |
みかんの幟 |
湘南に入り、都会歩きより断然楽しい。 |
JR国府津駅 |