東京では17日に桜が開花したが、21日に思いがけず雪が降った。八王子は薄っすら白くなったが、すぐに雨に変わり溶けてしまった。今日は暑くも寒くもなく、絶好の文学散歩日和になった。 |
今回私は訪れたことがなかった、清瀬市、東村山市を見学・散策する。 |
 |
 |
最初に行った清瀬中央公園では、桜が咲き始めていた。 |
スカイツリーのデザインをした澄川喜一氏(清瀬在住)の平和の塔の前で先生のお話を聞く。 |
清瀬病院に入院していた、石田波郷の句碑が立つ。 |
清瀬中央公園の桜(3~4分咲き) |
平和の塔の前で |
|
石田波郷句 |
 |
 |
七夕竹惜命の文字隠れなし |
遠く病めば銀河は長し清瀬村 |
|
石田波郷句碑 |
清瀬病院記念碑 |
「風捭つや辛夷もろとも雑木山」「瞼の裏朱一色に春疾風」「風呂吹に機嫌の箸ののびにけり」 |
波郷の詩を読んでみると、今の季節にぴったりのよい句があった。風呂吹は、ふろふき大根のことだそうだ。 |
 |
 |
昭和の初めは結核医療中心の府立清瀬病院と、傷痍軍人の東京療養所が統合され、現在の東京病院になった。現在はほかの診療が中心になっている。 |
裏の雑木林には、外気舎といい結核療養患者が退院後の生活のため過ごしたという、小屋が一棟だけ残されていた。 |
東京病院 |
コブシ満開 |
|
当時は72棟あったそうだ。中を覗くと、木のベットが二つ、洗面台だけの質素なものだった。 |
 |
 |
福永武彦は肋膜炎で入院中「草の花」を執筆。多才で探偵小説、映画の「モスラ」のシナリオも書く。長男は作家の池澤夏樹。 |
|
外気舎 |
桜並木 |
吉行淳之介も入院していたそうだ。療養中に「 驟雨」で芥川賞受賞。 |
 |
多磨全生園に行った。昔は癩病といわれ、差別を受け、治療よりも隔離されていた。 |
療養者は、5000人を超えることもあった。結核は感染症で,明治の開国以降日本では強くま ん延し,多くの人が命を失い,恐れられていた感染症 だった。 |
ノルウェーの医師ハンセンが「らい菌」を発見し治療薬も開発された。現在の日本の衛生状態、医療環境、生活環境ではハンセン病になることはほとんどないそうだ。 |
周辺は桜の大木が多い。 |
映画「あん」パンフレット |
自由に見学できる。 |
 |
映画「あん」は全生園の入所者を扱い、ここが舞台にもなった。私も観たが、とてもいい映画だった。 |
現在も住んでいる人はいるが、ほとんど高齢者で、入所するとき社会や家族と断絶させられ、戸籍や本名までも捨ててしまったので、帰るところもなくここで暮らしているという。 |
東村山市は、園の創立100周年を迎えるにあたり「人権の森」として守る宣言をしている。 けやきの丘から慰霊塔を巡り資料館へ。 |
 |
最後にハンセン病資料館でバスの時間まで見学した。 |
 |
私はじっくり見ていたら、誰もいなくなり慌てて集合場所に戻った。 |
あまりにも知らないことが多く、少ない時間では見ることができない。いつかゆっくり来ることにしよう。 |
けやきの丘 |
|
国立ハンセン病資料館 |
清瀬市は病院がとても多い。空気がよいところなので建てられたそうだが、全生園や結核の病院が建つことで |
住民からは反対の声も多かったようだ。 |
今回は文学の話だけではなく、考えさせられることが多く、とても充実した時間が持てた。先生ありがとうございました。 |