第14回文学散歩は、井の頭公園を訪ね、野口雨情の書斎「童心居」や歌碑を見たり、長崎の平和記念像の作者北村西望の彫刻館を見学する。 |
文学散歩は、過去3年雨に降られたことがない。だが今回ばかりは天気予報がずっと悪く、雨を覚悟していたが、暖かいよい天気になった。よほどの晴れ男晴れ女集団か。 |
吉祥寺公園口に集合し、以前物議をかもしだした梅図和夫氏宅「まことちゃんハウス」をチラッと見ながら(もっと真っ赤で悪趣味を想像していたが、思ったほどではなかった)、弁天通りをひょうたん橋へと歩く。 |
ひょうたん池の流れが、水門橋から神田川になり、25キロ流れて隅田川に合流する。 |
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野口雨情(1882-1945)62歳 詩人、童謡、民謡作家 |
多くの童謡、民謡を2000曲以上作詞、北原白秋、西條八十と並び、三大童謡詩人と呼ばれた。「船頭小唄」 |
北村西望(1884-1987)102歳 彫刻家 |
井の頭公園内にアトリエを建て、昭和30年(70歳)に長崎平和記念像を完成させる。国会議事堂の「板垣退助像」三鷹駅北口の「世界連邦平和像」御岳山の「畑山重忠騎馬像」など、力強い男性的な作風が特徴。 |
ひょうたん池 |
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中田喜直は、「小さい秋見つけた」「夏の思い出」「雪の降る町」など有名。「めだかの学校」は三鷹駅のイメージソングになっている。 |
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弁財天は神田上水の水神であり、境内には銭洗い弁天もある。 |
中田喜直「小さい秋見つけた」歌碑(アップライトのピアノ型) ♫皆で合唱♪ |
井の頭弁財天 |
弁天池は、現在水を抜いてゴミや外来生物を除く作業「かいほり」をしている。 |
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池の西畔に将軍家光が木に「井の頭」と切り付け、以後池の名称になった「御切付旧跡」の碑が立っている。 |
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弁天池 かいぼり中 |
御切付旧跡 |
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野口雨情は42歳から吉祥寺に住み、書斎を「童心居」と名付けた。死後東京都に寄付され、この地に移築された。8畳ほどの小さな庵だった。童心は雨情の詩作のスピリッツだそうだ。 |
「十五夜お月さま」「七つの子」「青い目の人形」「赤い靴」「あの町この町」などがある。 |
中村雨紅は弟子にあたる。 |
北村西望彫刻館 |
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入口でレクチャーを受ける |
館内窓より(まるで絵のよう) |
長崎平和記念像石膏原型 |
自然文化園の中には、園内に溶け込むように西望の作品が多数あった。知らなければよくあるオブジェと思い、通り過ぎていたかもしれない。館内入り口にも、西望が世に認められた3作品「怒涛」「晩鐘」「光に打たれる悪魔」がある。どれもとても力強い作品だ。 |
平和記念像は、右手は原爆、左手は平和を示している。あまりの巨大さに驚く。(最近話題の五郎丸ポーズ、その右手を天に、左手を横に伸ばせばこの形になるとか。) |
動物園を通り抜ける。象のはな子は日本で最高齢の68歳、人間だったら100歳を超えているらしい。高齢のため、3時で檻は閉まる。中の様子はライブカメラで見られる。 |
野口雨情の歌碑がある。 |
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「井の頭音頭」「国分寺高校校歌」なども作詞している。「船頭小唄」は歌謡曲のはしりといわれている。 |
七井橋(7つの湧水があった)通りを駅に向かう。 |
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野口雨情歌碑 |
七井橋 |
今年芥川賞をとった、又吉直樹「火花」には井の頭公園、七井橋通りが度々登場する。小説に出てきた、「武蔵野珈琲店」「いせや」などは実在する。それにしても240万部突破とはすごい! |
駅に向かって歩いていると、『この通りいつだったか文学散歩で歩いた気がする?確か最後に椿珈琲に寄ったが?』食べることとかはよく覚えているが、何の会だったかは思い出せない。先生に聞くと、1回目(太宰治)でした。 |
吉祥寺駅で解散後、忘年会となった。1年に4回3時間ほどなので、あまり話したこともない方もいたが、お酒も入り和気あいあいと楽しい会になった。皆さまよいお年を。 |