第13回文学散歩は、北区の田端文士村を歩く。明治22年に上野に東京美術学校(現芸大)が開設されると、多くの文人、芸術家がこの地に集まるようになる。芥川龍之介を慕い室生犀星、近在には萩原朔太郎や堀辰夫らも住んでいたそうだ。 |
田端駅に降りると駅前は、見たことがあるような、ないような気がする。そういえば、これから行く赤紙仁王で有名な東覚寺は、谷中七福神巡りで行ったところだ。2年前のことなのにだんだん記憶が怪しくなる。 |
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駅の目の前に立派な建物の、田端文士村記念館がある。まずはそこで芥川龍之介や室生犀星のについてビデオや展示を見る。 |
情報を得るのが大変な時代だったので、近くに暮らし、お互い影響しあいながら文化活動を行っていたようだ。 |
ただ厄介なのは田端の停車場へゆくのに可成急な坂がある事だ それが柳町の坂位長くつて路幅があの半分位しかない だから雨のふるときは足駄で下りるのは大分難渋だ(芥川が友人へ宛てた手紙より) |
現在は切り通しが出来、道もよくなったのでその面影はあまりないが、その頃の田端は丘陵地で、坂が多かったようだ。 |
田端文士村記念館 |
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芥川龍之介は大正3年から13年間この地に住んだ。この間「羅生門」ほか「藪の中」「河童」「歯車」など多くの作品を残した。昭和2年、神経衰弱で服毒自殺。 |
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天然自笑軒は宮崎直次郎の料亭。芥川龍之介も、ここで結婚披露宴を挙げた。 |
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芥川龍之介旧居跡 |
天然自笑軒跡(割烹料理屋) |
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東覚寺の赤紙仁王は、具合の悪い所に赤札を貼ると病が治ると伝えられている。以前来た時は赤札に覆われ、中の仁王像はわからなかったが、今日はほとんど剥がされていた。 |
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区民センターのある谷田川通りを歩く。現在はこの川は暗渠になっている。 |
東覚寺(赤紙仁王) マウスを置くと真っ赤なお姿に2013/01 |
大龍寺(正岡子規・板谷波山の墓所) |
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太平洋洋画会がつくった芸術家の親睦団体、ポプラ倶楽部 があり、ポプラ坂を登った所に、テニスコート2面とクラブハウスがあったそうだ。明治時代にテニスを楽しんでいたというのも驚いた。(現在は保育園) |
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歩いていると、田端文士村の名前をとった整骨院があった。 |
陶芸家板谷波山宅跡も近くにある。 |
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ポプラ倶楽部 |
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室生犀星は、大正5年に田端で居を構え、詩壇での地位を築く。40歳を過ぎ、小説に重点を置き、「性に目覚める頃」「杏っ子」などの作品を残す。 |
最後に、サトウハチロー宅跡を歩いて田端駅に向かった。 |
残念ながら現在残っている建物はなかったが、先生のお話を聞きながら狭い裏通りを歩き、その昔に思いを馳せた。 |
室生犀星旧宅跡 |
遅ればせながら、河童でも読んでみようかな。 |