奥多摩湖畔を廻り、小河内ダムの歴史や、湖底に故郷を失った小河内村民の悲哀を描いた石川達三の『日蔭の村』に、時代に翻弄された人々の心境を偲ぶ。 |
石川達三の本は若い頃何冊か読んだが、日陰の村は読んでいなかったため、事前に図書館で借りた。黄色く変色した本は、字がとても小さく2段になっていた。昔はよくこんな小さな活字を読めたものだ。頑張って読んでいたが途中で挫折し、最後まで読み終えなかった。 |
暑くなるとの予報だったが、やはり奥多摩まで来ると風は爽やかで気持ちいい。 |
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湖畔には、小河内ダムのあゆみや建設の過程などが記されていた。 |
小河内ダムの建設により、600世帯、3000名が故郷を離れた。なぜか奥多摩周辺ではなく、山梨県に移った人が多かったとか。 |
多摩川上流の9ヶ所に候補地が上がったが、地盤、水量などの問題を経て、現在の場所に決まった。昭和13年に着工し、戦争で5年間中断したが、32年に完成した。 |
湖底の故郷 歌碑 |
←村民の思いを島田磐也が詩を作り、東海林太郎が歌ったそうだ。 |
みはらしの丘は山の斜面を歩くハイキングコースになっている。春は桜、秋は紅葉と四季折々に楽しめる。 |
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向かいには御前山から三頭山に続く山並みが見渡せる。 |
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みはらしの丘でレクチャー |
奥多摩湖展望 |
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徳冨蘆花の兄蘇峰が読んだ詩「登り登りて水源を極む、谷を隔てて幾村々、崖は竣にして泉は筧を鳴らす。岳高くして、雲は軒に入る」と刻まれている。 |
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蘇峰はこの先にある温泉地、熱海が好きで、よく通ったそうだ。 |
松尾芭蕉の句碑もある。 |
石碑の小径 徳冨蘇峰碑 |
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水と緑のふれあい館 |
水と緑のふれあい館で昼食後、3Dシアターを見る。専用のメガネをかけると、大迫力の滝や川の流れ、木の葉から滴り落ちる水の一滴が降りかかるようで、奥多摩の自然を楽しむことが出来た。 |
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ダムを渡り、途中の展望塔に登ると、ダムのジオラマ、3F床には流域全体図がイラストマップに描かれている。 |
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87名の犠牲者を出す難事業だったため、慰霊碑が建立されている。 |
湖の向こうの山は、倉戸山から鷹ノ巣山への稜線だ。 |
展望塔(ダムの上を渡る) |
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慰霊碑(対岸) |
バス停に戻り、奥多摩駅に向かう。道路は所々で「奥多摩むかし道」と行き交うが、そこを歩くと、当時ダム建設のために奥多摩駅から(6.7km)鉄道が引かれていた痕跡がある。 |
奥多摩は山歩きで度々訪れるが、ほとんど素通りしていたので知らないことも多かった。こうして教えていただいたことで、次に来た時には見る目が少し変わってくる。 |