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大菩薩南峰には雁ヶ腹摺山と名がつく山が三座ある。旧500円札で有名な雁ヶ腹摺山には行ったことがあるので、今回は二つ目の笹子雁ヶ腹摺山に登ることになった。 |
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電車は混んでいたのに、無人の笹子駅で降りたのは、私たちのほかには数人だけだった。 |
ビュンビュンと車が行き交う、甲州街道(R20)を左に進む。まだこの辺りは、古い家並みも残っている。 |
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甲州街道に沿って |
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清八山・本社ヶ丸へのルートを分ける |
ルートは、甲斐大和へ下ったり、米沢山方面へ縦走したりいろいろあるが、一番時間もかからず、下りに旧甲州街道の見どころもあるこのコースに決まった。 |
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四方を山に囲まれ、目指す山がどこか麓からではわからない。 |
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新中橋を渡ると登山口の標識 |
始めは杉の樹林帯の急登が続く |
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今度は自然林の急登が続く。九十九折にはなっているが、ほとんど直登という感じだ。 |
少し明るくなったと思ったら、一つ目の鉄塔の下に出た。小休止にして、ドーナッツで腹ごしらえ。まだ上りは長い。樹間から清八山・本社ヶ丸方面がよく見える。 |
右手の山に、電波塔が見える。麓から白い建物のように見えたのはこれだったのだ。 |
アカマツの林 |
アカマツの林になり、少し道が緩やかになったと思ったら、再び急登。 |
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するとひょっこり、さっきの電波塔の下に出た。 |
電波塔は金網で囲まれ、その辺りにはまだ咲き残りのマツムシソウやヤマラッキョウが見られた。紅葉はまだまだ先のようだ。 |
電波塔の反射板(山頂少し手前) |
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そしてなんと、そこから一登りで笹子雁ヶ腹摺山山頂だった。ず〜っと左方向だとばかり思っていた山頂は・・・???。あの電波塔がある山だったのだ。 |
山頂は狭いが、とてもよい眺めだ。この時間逆光で残念だが、真正面には富士山はじめ御坂山塊、西には見覚えのある南アルプスが、甲斐駒から農鳥岳まで連なる。 |
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ここからの富士も秀麗富嶽12景に指定されている。 |
米沢山方面から縦走して来た人が、「きつかった!」と汗を流していた。 |
展望を楽しみながら、お弁当を広げる。 |
富士を望むクリックで拡大photo by junjun |
笹子雁ヶ腹摺山1357m |
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急斜面を下ったところには、また鉄塔があった。振り返ると山頂が見える。 |
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こちらのルートは急斜面にロープが張ってあったり、整備されている。 |
山に囲まれた甲斐の国には、重要なルートだった旧甲州街道で、笹子峠は最大の難所だったそうだ。この真下に笹子遂道がある。大役を終えた今は、通る車も少なく、静寂な佇まいを見せる。 |
旧甲州街道笹子峠 |
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旧笹子遂道(S13年開削) |
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アスファルトの旧甲州街道を少し歩いた先から、昔の甲州街道を辿って矢立の杉まで行かれる。 |
矢立の杉は、屋久島の縄文杉を思わせる圧倒される大きさだった。ウィルソン株のように中が空洞になっているが、外側はちゃんと生きていて、青々した枝を張り巡らしている。 |
1000年もの昔からここに立ち、長い歴史を見つめてきたと思うと、感慨深い。 |
”矢立の杉”study |
武士が出陣の際、矢をこの杉に立て、戦勝を祈願した。(樹高28m、根回り14.8m、幹囲9m) |
矢立の杉 |
木の中に入ると空が見える |
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10月も半ばだというのに、以外にも花がたくさん見られた。今回は花博士が一緒だったこともあり、見過ごしてしまうような小さな目立たない花も教えてもらえた。 |
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コウヤボウキ、センブリ、ヤクシソウ、リュウノウギク(上の写真)、ヤマラッキョウ、マツムシソウ、リンドウ、ナギナタコウジュ、シラヤマギク、オヤマボクチ(右の写真)・・・ |
甘党の私たちは、帰りに名物笹子餅を買おうと先を急いだ。駅に着いた時、電車の時間まであと10分しかなかったが、駅前の笹子餅屋へ走り、心残りなく笹子を後にした。 |
帰りの電車の中で、次は3つ目の牛奥ノ雁ヶ腹摺山へ行く計画も決まった。 |