2月11日(金) |
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2月の連休を利用して、熊野古道”伊勢路”へ行った。ツアーにするか、新幹線にするか迷ったが、現地での利便性を考えクマさんの『車にしよう!』の一言でマイカーで行くことになった。伊勢湾岸自動車道が全面開通になったので、少し便利になった。(我家のナビはまだ伊勢湾道が出来ていず、海の上を走っていたが) |
早朝出発で、富士山は真っ暗で見えず。でも、東名は海辺を走るので、気持ちがよい。何度か休憩をとりながら、それでも11時には目的地海山(みやま)に到着。 |
熊野古道は「伊勢路」「中辺路」「小辺路」「大辺路」などと別れていて、2泊くらいで見るにはどこかに絞らなければ無理なことがわかった。東京方面から車で行くにはやはり伊勢路が妥当な線だった。 |
熊野古道は、熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)に詣でるための道で、大自然の中にある熊野へ厳しい道を乗り越えて詣でることで、来世の幸せを神々に託すという信仰が生まれ、これが「熊野詣」となったそうだ。 |
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熊野古道全体図(参考HPーみえ東紀州) |
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道の駅「海山」 |
数百年前に作られた石畳が、見事な状態で現在まで保存されているのは、地形が険しかったために開発から逃れたためらしい。 |
馬越峠は道の駅「海山(みやま」に車を停め、国道42号を尾鷲方面に少し歩くと大きな標識の馬込峠登り口がある。海山町と尾鷲町の境界が馬込峠だ。 |
【馬越峠】 |
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登り口から石畳だが、これはあきらかに最近作られたものだった。 |
熊野古道で一番美しいといわれる石畳は、尾鷲ひのきの美林の中を2キロにわたり続いている。緑のじゅうたんのようなシダを敷き詰めた桧林の中へ入ると、ほどなく石畳の道が現れる。 |
うっそうと茂る林の中は、日差しが遮られ、湿って苔むした石畳は趣がある。この道が大正時代まで使われていたそうで、歩いていると往時の風景が浮かんでくるようだ。 |
始めはゆるやかで道も広いが、徐々に道幅は狭くなり、傾斜もきつくなってくる。 |
馬越峠登り口 |
馬越峠石畳(画像クリック拡大) |
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昔は峠が越せなくて亡くなった人もいたそうで、近くには地蔵やお墓が多い。 |
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何度か清らかな流れを横切る。よく見ると溝のようになっているところがあるが、これは山からの雨水を逃がし、旅人の草鞋を濡らさぬための”洗い越し”と言う工法だそうだ。 |
途中に「夜泣き地蔵」「一里塚」など史跡を過ぎると40分ほどで林道へ出る。そこからは10分ほどで、峠の頂上に着く。 |
峠からは海と尾鷲市外が一望できる。茶店跡があった。 |
夜泣き地蔵 |
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そのまま尾鷲市側に抜けたかったが、車なので天狗倉山(てんぐらさん)へ登ってから引き返すことにした。 |
ここからは急な階段になった。最後に大きな岩を回り込み、フーフー言いながら天狗倉山(522m)に着くと、一気に展望が開け、青く広がる熊野灘が一望のもとだ。 |
山頂には大岩に登れるように鉄梯子がかけてあった。 |
天狗倉山山頂 |
山頂の大岩 |
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近くにいた人に「上に登れば大台ケ原が見えるよ」と言われ、せっかく来たのだから登ってみることにした。 |
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ほんの少し登っただけで展望は全く違い、ほぼ360度見渡せる。雪で真っ白な大台ケ原はじめ、熊野古道西国一番の難所八鬼山などの山々が連なる。岩の上は思ったより広かった。 |
高所恐怖症のクマさんは最初は嫌がっていたが、結局最後は登ってたくさん写真を撮ってきた。 |
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大台ケ原 |
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2時間半ほどで道の駅に戻り、今夜の宿、紀伊長島の民宿『美乃島』に向かった。そこは、マンボウ料理が有名で、珍しいので決めた宿だった。 |
マンボウは魚というより肉に近く、初めての食感で、美味しかった。 |
美乃島は、周りの民宿はこの時期はオフでガラガラなのに、ここだけは満室だった。でも、民宿なのに名前が広まりすぎたのか、家庭的な温かさがなくちょっとがっかりした。 |